SSブログ

たらちねの [日記]

 いつか来た丘、母さまと・・・ ♪

今日は、誠に恐縮ながら、拙者の母の話にお付き合いください。

拙者の母君。

いつも父上最優先で奉っていました。

食事は父上の好みに合わせ、貧乏だったときも父上だけには、卵は欠かさず・・・

拙者は小学校に入る前年に、一度東京へ出てきています。

父上が仕事で東京へ出張した際に、一緒に連れてきてもらったのです。

急に決まったらしく、その時に拙者が着て上京したオーバーは、母君が一晩徹夜して作ってくれたものでした。


出発時間ギリギリに出来上がったのは、上陸した佐世保港で手渡された、軍の毛布を加工したオーバー。

それまで、ろくに洋裁などしたことがない母君。

オーバーを着せてくれる手は、何故か血だらけでした。

でも心がこもって、ポカポカと非常に暖かいオーバーでした。

 

拙者は転校、転校の連続でしたが、転校してみると、往々にして教科書が違っていることがあったのです。


転校の時期によっては、教科書が入手できず、母君は先生が使っている教科書を借りてきて、徹夜で写して教科書を作ってくれたものでした。

手書きで、「ページ」と「行」までも合わせて・・・

 

「『先生がハイ、なんページを開けて、ハイなん行目の・・・』って言われたら困るでしょ?」

いつもそう言って、微笑んでいました。

母君が作ってくれた教科書を見て勉強した拙者、まるで女が書くような字を書く男に育ってしまいました。

 

教育熱心で、何が心配だったのか?何の相談があるのか、「また、おまえのお母さん来てるぞ」と同級生に言われる程、しょっちゅう学校に来ていました。

当時は洗濯機や電気釜があった訳ではなく、一日中家事に追われていた筈ですが、気が付くと、学校に来ていましたねー。

 

『♪蜜柑の花が咲いている♪・・・』この歌を聴くと、拙者は母君を思い出すのです。


小学校3年生ごろのこと。


長崎県佐世保市、山の上にあった「木風小学校」からの帰り道。

それこそ歌の通りに、遙か遠くに海が見えるのです。

汽笛は遠すぎて聞こえはしませんが・・・船も小さくかすんで見えていました。

 

どうして母君と一緒に帰る事になったのか?すっかり忘れましたが、木の陰から海が見えた途端に、母君が歌い出したのです。

 

それは、澄み切った空に響き渡る、綺麗な綺麗な声でした。


後にも先にも、母君の歌声を聞いたのはこのときだけ。


辛いことの方が多すぎて、歌を口ずさむ余裕もなかったのかも知れません。

 

母君はいつも正しく、厳格で、躾に厳しく、きちんとした人でした。

父上が新聞記者で、非常に不規則な生活でしたので、母君は父上の分まで頑張っていたのでしょう。

 それにしても、12、3歳頃までは、よ~くひっぱたかれましたよ。

そんなに悪いことばかりやっていた記憶はないのですが・・・

 

 

寝ている、男の子の頭の方は通らない。

長男は誰にも増して立てる・・・そんな古風な母君でした。

 

拙者は長男。

「あなたは、お兄ちゃんでしょっ?もっとしっかりしてくださいっ、ダメですよっ?」


「お兄ちゃんがついていて、なんですか?」


兄弟のうち、拙者にだけは怒るときも敬語を使って怒っていました。

 

父上は、酔って帰ると「おい、お前早く死ね、俺はもっと若くて綺麗な女房をもらうから」

母上はニコニコ笑って「はいはい、そうして下さいネー」

拙者、中学生のころ「あまりにひどい」と翌日の朝、酔醒めの父上に喰って掛かりましたよ。

寝起きに、食ってかかられて、拙者が何を怒っているのか、とっさには理解できなかった父上。

その時、母上は、「いいのよ、お父さんだけの冗談だから・・・」

父上は「なーんだ、そんなことで怒ってるのか?」
夫婦で顔を見合わせて、笑っていましたっけ。。。

子供にしてみれば、大問題でしたよ。

 

 

父上を愛していたかどうか?

拙者、そんなことは一度も考えたことはありませんでしたが、たった一度だけ、見てしまったのです。

 

それは、父上の葬儀のときでした。

 

御坊(おんぼう=焼き場の係員)が「それでは、お別れです」と釜の蓋を開け、今まさにお棺を釜に入れようとしたときでした。

 

『・・・・イヤー!!』

 

母君が絶叫して、レールの上を動き始めたお棺を引き留めようと、お棺にすがって泣いたのです。

 

それまでは涙もこぼさず、気丈に振る舞っていた母君でしたが、その時の光景は一生忘れてはいけないものとして、拙者の目に焼き付いています。

 

親戚の誰かがお棺から引き離しましたが、絶叫して泣き叫ぶ母君を見て、・・・

『あんなに、愛していたんだ・・・・』と。

 

拙者は『決して泣かない』心に固く決めて勤めた喪主でしたが、それを見た途端に・・・

実に感動的な瞬間でした。

 

後ろの方で、誰かがソっと、「俺の時も、あんな風に泣いてくれるかなー?」

 

 

その母君も、父上の7回忌を待っていたかのように、逝ってしまいました。

引き上げの時の無理がたたって、ずっと病気勝ちだった母君でしたが、最後は穏やかな『寝顔』

7回忌を終えた途端の旅立ち・・・父上が「もう、いいよ」

・・・・と、迎えに来たような気がしてなりません。

 

たらちねの母君との永遠の別れは、母君66才の秋風が立ち始める頃でした。

 


 

今日のおまけ

拙者が仕事で付き合っている、造園屋のオヤジは頑固一徹。

 

「ここに桜、あそこには夾竹桃を」
お客様の希望を伝えます。

 

「なんだと!、桜?夾竹桃?・・・・誰か他のヤツに頼んでくれ!俺はそんなもん、絶対に植えねーからヨー!!」

 

今にも道具を纏めて、帰えろうか?という剣幕です。

 


桜の木・・・・昔、土葬の頃は死体を埋めた上に植えた木なんだそうです。

桜の花の色は、人の肉の色。


腐った、人の体を栄養として育つ木・・・彼はそう言い張ります。

 

夾竹桃・・・・焼き場で骨を拾うときに使う、あの「長い箸」

あの箸は、夾竹桃で作られるのです。

 

「そんな縁起の悪い木を、庭に植えるヤツの気が知れねエー」

 

「どこにいるんだヨッ!そんなバカタレ、俺が言って聞かせてやろーじゃネーか?」

 

 ホントに少なくなりました。


でも、まだ拙者の廻りには、こんな頑固な職人がいるのです。


 


nice!(7)  コメント(12) 
共通テーマ:インテリア・雑貨

nice! 7

コメント 12

頑固職人さん達が人生の頼りです。
by (2006-07-31 16:53) 

アキラ

とんとんさん
ナイスありがとうございます。
こんど、あなたの処にも遊びに行かせてください。
by アキラ (2006-08-01 08:45) 

アキラ

ヒゲボーズさん
はじめまして。
ガンコな職人・・・最近はの職人は世慣れて、すべからくサラリーマン化して、頑固な職人は少なくなりました。
「職人として恥ずべき仕事はしない」という、昔気質の職人魂はどこへ行ってしまったのでしょう?私が付き合っている職人達は、貴重な存在かもしれません。
プロフィールもちらっと、見せていただきました。
建築家でいらっしゃるようですね。
私は建築工事業者のオヤジですが、今後何かとご教示戴けたら幸です。
by アキラ (2006-08-01 08:53) 

かな

お母さま、素敵な方ですね。 
私も、ふと祖父のお葬式を思い出しました。 おじいちゃんっ子だった私は、大声で泣きながら棺にすがって・・・
「祖父の体がなくなってしまう!」 それがいやで悲しくて、火葬場でずっと泣いていました。 
きっと、今頃、天国で幸せに暮らしていますよね。
by かな (2006-08-01 10:06) 

アキラ

かなさん
ほんとに素敵な人でした。
一つ何かあると、添え以前の事まで持ち出して叱るといった一面が、子供の頃はとても嫌いだったのですが、大人になって考えてみると、病気がちで体が思うように動かない分、口やかましかったような気がします。
死んだらあの世とかで、又会えるんでしょうかねー?
母は天国、私は地獄で会えそうにありませんが・・・
by アキラ (2006-08-01 11:23) 

ラムねーさん

なんだかこう、心にジ~~~~ンとしみわたる、いいお話でした。
まるで映画を見てるみたい。

そんなお母様の息子さんですから・・・きっと天国でお母様に会えることでしょう。

私の母・・・?????
ちゃきちゃきの江戸っ子ですからねぇ~~~~。
by ラムねーさん (2006-08-01 15:42) 

瑞穂

アキラさん、こんなに素晴らしいお母様の子供として産まれた事に
感謝ですね。手縫いのコート、手書きの教科書・・・お母様の子供を思う
気持ちが、本当に有難くて、涙を流しながら読ませて頂きました。
そしてお父様を見送る時のお母様・・・読み終えて号泣です(T-T)
私の父も凄く厳しい人でした。うるさいと感じた事もありましたが、自分が
早くに逝ってしまうことをどこかでわかっていたのでしょうか・・・厳しく躾けられ
たお陰で社会に出て恥をかかなくてすみました^^ 親は有難いですね☆
by 瑞穂 (2006-08-01 16:03) 

アキラ

ラムねーさんさん
会えますかネー?
私は恐らく地獄行きだろうと思って居るんですが・・・
チャキチャキの江戸っ子母さんも、いいものでしょうねー。
竹割ったみたいじゃありませんか?
by アキラ (2006-08-01 18:01) 

アキラ

瑞穂さん
お涙頂戴で書いたつもりはないんですが・・・
何かを感じて戴けたのでしょうか?
親のありがたみ・・・生きてるうちには、口にも出せずに、ただやかましいと。
悪かった・・・と思いつつ、せめてもの罪滅ぼしと思って書きました。
by アキラ (2006-08-01 18:06) 

浜松自宅カフェ

いつも嫁さんから「お母さんにやさしくしてあげなよー!」って叱られます。
反省するのですが、優しくするとすぐ涙ぐむ母なのでどうしても邪険に扱って
しまうんです。最近は、優しくとまでは行かなくとも普通に、そして訪問する頻度は
増えました。少しづつですが、進歩はしていますよ。
by 浜松自宅カフェ (2006-08-01 19:00) 

アキラ

みなさま、いつもいつも、ナイスとコメント感謝申し上げます。
もう少しマシな文が書けるといいのに・・・と思いながら、つまらない文を書いています。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
by アキラ (2006-08-01 22:31) 

アキラ

浜松自宅カフェさん
お母様には、何が何でも優しくしてあげてください。
私が若いころは鬱陶しくて、邪険にしてばっかりでした。
「あーあ、秋の風が吹いている」母は言ってましたが、解りますか?
『物言わば、唇寒し秋の風』
私自身の反省を込めて、申し上げます。
by アキラ (2006-08-01 22:34) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

電気ブランウルヘイとカブトムシ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。