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「ギブミーチューリンガン」 [日記]

  ずっと、チューリンガンだと思っていました。


昭和20年代(1950年代)の長崎県佐世保市・・・拙者は小学生でした。

 

街にはまだ戦争孤児や傷痍軍人が大勢いました。

 

ある日、数人で歩いている進駐軍の兵隊さんに、孤児の一人がスッと近づい

て、『魔法の言葉』を喋ったのを聞いてしまったのです。

ニッコリ笑った一人の兵隊さんが、胸のポケットからチョコレートを出して、孤児

に手渡したではありませんか?

「サンキュー!」孤児は軽く手を挙げて、走り去りました。


『魔法の言葉』

それは、「ギブミーチューリンガン」と聞こえました。

 

子供好きな兵隊さんが、日本の子供に上げるつもりで、持っていたのかも知れ

ません。

 

頭にスカーフを被り、綺麗にお化粧をした女性が、兵隊さんの腕にぶら下がる

ようにして歩いていました。


・・・・やってみたのです。

孤児がやったように、そっと傍に近寄って・・・兵隊さんに「ギブミーチューリンガ

ン」

 

たちまち、女性の顔色が変わって、「あっちへ行け!」

足を振り上げ、ハンドバッグを振り回されました。

 

『あー、驚いた!』何であの女の人は、あんなに怒ったんだろー?

 

見ていた浮浪児が、笑いながら寄ってきて、教えてくれました。

「パンパンが一緒の兵隊は止めた方がいい」

 

家に帰って、母に聞きました「パンパンって、どんな意味?」

「知らんでもいいっ!そんなこと!」

 

パンパンの意味もいつの間にか解りました。


 

いつだったか、フランス映画を見ていたら娼婦の館の看板に『PANPAN』と書

かれているのを見つけて、語源はフランス語なのかも知れないと思っていま

す。


 

「ギブミーチュリンガン」・・・外人を見つけると、やっていました。

殆どは無視されましたが、そのうちの何度かは成功もしたのです。

 

 成功の場合には、必ず兵隊さんの胸のポケットから『何かしら』出てきました。

それはチューインガムだったり、板チョコだったり、紙の棒付きのキャンデーだ

ったり。

 

 

女性が一緒の兵隊にも、何度か試しましたが、こちらの方はことごとく失敗

でした。

 

そのうちに、悪態をつくことも覚えました。

「やかましい!このー・・・PANPANが!」

「なんだってー!?」どこまでも追いかけてくる人も居ましたね。

生活のためには、やむを得ないことだったのかも知れない人に対して・・・

当時の拙者は子供・・・

 

残酷な言葉を投げかけていました。


拙者は男の子・・・『悪ガキ』という程ではなかったと思いますが、親の目が届か

ないところでは、飛んでもないことを言ったり、やったりして育ちました。

 


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TOMO

同じことを義父も言っていました。
ただ東京では素直にガムをくれるというよりも
自分(GHQ)が噛んでいたガムを投げつけるように
渡すほうが多かったと。
でもそれを拾い砂糖などを少しつけて噛んでいたそうです。
だから父はいまでもアメリカ人が大嫌いです。
あの屈辱は一生忘れないと。
10歳で親と生き別れ弟と離れ、一人で生きていく
ために人一倍プライドを高くもっていたのかもしれません。
by TOMO (2006-10-23 13:10) 

浜松自宅カフェ

大変な時代だったのでしょうね!今思い付いたことですが、食料のありがたみを
知るために「食事をしない日」を設けようかしら?非難ゴーゴーでしょうね(笑)
ところで、当時のガムはどんな味だったのでしょうか?
by 浜松自宅カフェ (2006-10-23 14:47) 

アキラ

TOMOさん
以前にも同じようなコメントを戴きました。
お義父様は大変な思いをされて・・・罪もない子供が戦争の被害者に。
大変な時代を生き抜かれた、お義父様に敬意を表します。
ただ、私だけかも知れませんが、ただの一度も噛みかけのガムをくれた兵隊はいませんでした。
九州の田舎に派遣されて、心にゆとりでもあったのでしょうか?
みんなにこやかに、笑顔で新品を手渡してくれました。
まあ、やったのは、ほんの一時期でしたが・・・
by アキラ (2006-10-23 19:13) 

アキラ

浜松自宅カフェさん
浜松自宅カフェ風ラマダンですか?いいですねー(笑)
その後は、どんちゃん騒ぎで『飲めや歌えや』・・・受けるかも知れませんね。
当時のガムですか?
今ほど味が無く、いつまで噛んでも柔らかくならないガムでした。
by アキラ (2006-10-23 19:20) 

あさぎいろ

今は、発展途上国に行く日本人が、昔の進駐軍のように振舞っているのでしょうね。
 昔の進駐軍は痩せ型でかっこよかった?今、横須賀で見かける兵隊さんは肥満が多いね。かっこわるい。
by あさぎいろ (2006-10-23 23:35) 

アキラ

アサギいろさん
ナイスとコメントをありがとうございます。
50年も昔の話です。
当時は不通の家庭の子も、浮浪児と見分けが付かないくらいでした。
TVで放映していた北朝鮮の潜入映像・・・ご覧になりませんでしたか?
コッチェビと呼ばれるストリートチルドレン達を映していましたが、あれが戦後の日本そのものでした。
by アキラ (2006-10-24 08:33) 

misuzu

アキラさんよりは若干年下のわたしですが、あっ!かなり年下と言いたい^^; 子供の頃わたしは多くの子供達に「あっ!あいの子だ!あいの子だ!」と指差されました。れっきとした純日本人ですが。。。 いまは死語ですね~ わたしもアキラさんの記事を読んで久し振りに思い出しました。
by misuzu (2006-10-24 10:41) 

アキラ

misuzuさん
言いました、言いました・・・確かに『あいのこ』って。
最今では仰るとおり死語ですねー。今はハーフとか言いますから。。。
misuzuさんはきっと、彫りの深いお顔だちなんでしょうね。
かなりと言うか、大幅に年下にしておいて上げましょう(笑)
by アキラ (2006-10-24 17:17) 

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