○○健児 [日記]
九州ではどこへ行っても、その地方の名を取って、その地の子供達の事を
『○○健児』といいます。
転校下ばかりのころ、クラスの友達が海へ連れて行ってくれました。
海と言っても海水浴場のような砂浜が広がっているのではなく、岩づたいに跳
んで行くと、いきなり深い海が待ち受けている・・・という海でした。
越中褌を締めて、ゴム引きのヤス(先が4本に別れたモリ)を携え、器用に潜っ
て魚や伊勢エビを捕ってくる友達を、感心しながら岩の上に座って眺めていま
した。
何人か潜っていましたが、当時の男の子達はみんな越中褌姿で、海水パンツ
なんて誰一人として穿いているヤツはいませんでした。
拙者はそれまで海水浴に連れて行って貰ったこともなく、全くの『金槌』だった
のです。
潜った友達が、次に浮き上がってくるのを岩の上で待っている時でした。
後ろからものすごい力で抱え上げられて、無言で海の中へ放り込まれた
のです。
覚えてはいませんが、拙者はランニングシャツに短パン姿だった筈。
泳げない拙者は必死で『助けて!』と、もがいたのでしょう。
放り込んだ張本人が飛び込んで来て、岩の上に引っ張り上げてくれました。
「おまえ、泳げないのか?・・・」
「明日から毎日ここへ来い!俺が泳ぎ方を教えてやる」
その人は、近くの水産高校に通っているお兄さんでした。
それからの十数日間・・・本当に一生懸命泳ぎ方や潜り方を教えてくれました。
お陰で夏休みに入ると連日ヤスを引き絞り、褌姿でこの岩場で潜っていまし
た。
その夏に一度、この岩場から、大きな湾を友達数人と泳いで渡ったことがあり
ました。
遅れながらも友達に必死で付いていく拙者に、漁師さん達が船で通りがかって
は「ホラー!後ろからフカ(鮫)がきたぞ!」と、大声で嚇かしながら通り過ぎて
いくのでした。
今にして思えば、距離は5㎞ぐらいだったでしょうか?
流れが速く、泳いでも泳いでも対岸が近づいてこないのです。
『まだ無謀だった・・・』湾の中程で心から後悔しましたが、掴まる物は何もあり
ません。
『泳ぐしかない』友達にはかなり遅れながらも、どうにか対岸にたどり着きまし
た。
しかし、陸に上がった時には膝が崩れて、立てないほど疲れ果てていました。
よく途中で諦めなかったと感心しますが、きっと死にたくない一心で、必死で泳
いだのでしょう。
油津健児になった・・・この湾を泳ぎ切って、初めて水産高校のお兄さんやクラ
スの友達に認めてもらえたのでした。
短編小説のような趣ですね。少し前にZ市にふんどし姿の方々が集まる海岸があったのをご存知・・でしょうね(笑)
by cuvesx (2006-11-11 21:35)
いい話です^^
いくつになっても^^そんな気持ちを大切にしたいです^^
by (2006-11-11 21:54)
スパルタですね(笑)
でも追い込まれないと
できないこともありますよね。
by TOMO (2006-11-12 15:52)
Honuさん
ナイスをありがとうございます。
私にはその手の趣味はありませんので全く知りませんでしたが、写真週刊誌か何かで読んだことがあり、驚きました。
今でも集まっているのでしょうか?市内では噂も聞きませんが
褌姿の人々・・・見に行く勇気はありません。
by アキラ (2006-11-13 11:53)
dennさん
この時から、私の「諦めないモード」が生まれたような気がします。
いつもナイスをありがとうございます。
by アキラ (2006-11-13 11:55)
TOMOさん
油津は漁師町ですから泳げて当たり前、まさか私が転校生で「金槌」だなんて、思いもしなかったのでしょう。
水産高校のお兄さんも驚いたことだと思います。
ナイスをいつもありがとうございます。
by アキラ (2006-11-13 12:01)