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祭の思い出 [日記]

 

各地で夏祭りが行われ始めた。
我が町逗子でも『祭囃子の練習をする、太鼓や鉦の音』がかまびすしい。


逗子では亀岡八幡宮の境内に露天商が夜店を出すが、子供騙しばかりで面白くない。
『ヨーヨー釣り』『スーパーボール釣り』『金魚掬い』といったものばかり。
 露天の立ち食いが好きなのだが『焼きそば』『たこ焼き』『リンゴ飴』など、さして食べたいものもない。。。

 

どこか遠くで、『テンツクピー・カキン・ドドーン』 お祭りのお囃子が聞こえる中で・・・・

寅さんの映画じゃないが、『口上』で客を引きつけ、『知識と口の技』を駆使して

お金儲けを企む香具師(やし)がいなくなったのは、如何にも寂しい。

拙者が子供の頃には、お祭りと言えば、そんな香具師たちの独壇場だったのだが。。。

 


パパン!パン!パン!よく撓って、いい音を出す竹?か何かを白い布でくるんだ平らな板で、

急ごしらえの台を叩きながらの口上は・・・

「どうだ、貧乏人!買えるもんなら買ってみやがれ! タイワンバナナは有名だけど、これは滅多に手に入らない、世にも珍しいフィリッピンバナナだ! 一房たったの500円!誰か買わね~か?」パパン!
「どうした?誰も買えね~のか?しょうがね~なぁ」パパン・パン! この時点で房は半分に・・・
「さあ、これならどうだ!貧乏人!300円だ!」パシ~ン・パ~ン・パパン!


高飛車な売り口上に、廻りは黒山の人だかり。

「あ~~!もう、この町にゃ、貧乏人しかいね~のか?テメーら飯は食ってるのか?どいつもこいつも元気がね~なぁ、飛んでもね~町に来ちゃったぜ!」
「よ~し、解った!これならどうだ!持ってけドロボウ!200円でイイや(また2つに分けると、2本ぐらいになる)

これで買えなきゃテメェラ、とっとと帰ってクソして寝ちまえ!」パパン・パ~ン!


この辺りで、「買った~!」廻りを見渡して・・・「安いよ」それにつられて『お客も買う』と言う仕組み。
最初に買ったオジサンは、完璧にサクラ。
大人達はすぐに離れていくが、子供の頃の拙者、台の下に隠れてじっと待っていると、又同じ口上が始まる。
最初に「買った~!」大声を掛けるのは、いつもグルのオジサンだった。


「ほ~ら、お金を遣わない子供達はここから入っちゃダメだよ、ほ~ら、ほらほら」言いながら地面に竹の棒で円を描いていく。時には半ズボンで丸出しの拙者の脚をパシ~ンと!

「おっと、ごめんよ!」

お金も遣わず、何時までも最前列に陣取っている子供が、憎らしかったのかも知れない。


円の中の地面には、十二支が描かれた白い布の4隅を石で押さえて置いてある。
お客が集まると、十二支の動物を竹の先で指しながら『だみ声』の口上が始まる。

手相人相何でもござれの占い師だった。

「ネズミ年の男は落ち着きがない!チョロチョロ・チョコマカめまぐるしいことキリがない、だけど皆さん勘違いしちゃいけないよ!ネズミ年の男は出世はしないがクイッパグレがない!キョウビ大学出ても職がない、こんなご時世ニャもってこいだ!」
「寅年生まれの女と辰年生まれの男が結婚するとロクなことはない!朝から晩まで茶碗が飛ぶやら、お鉢が飛ぶやら、あなた百までワシャ、クジュクまで、共に白髪の生えるまで、喧嘩しましょう、泣きましょう てなことになりかねない。」

「おっと、そこのお父ちゃん、あんた生まれは何年だい?エ!未年?そうだと思ったよ!
金持ちになる相が出てるね、それも100や200じゃないよ、キョウビ200万ぐらいなら、そこらの橋の下の乞食だって持ってる金だ!うらやましいね~、あんたには億の金が待ってるよ。ただ今のままじゃ、金ってぇヤツは転がり込んじゃ来ないんだよ、一寸待ってな!後でしっかり教えてあげよう。さ~さ、皆さんも知りたいことがあったら何でも聞いておくれよ!甲斐性のない亭主とどうやったら別れられるか?そんなお母ちゃんニャ、一寸した鼻薬、分けてやることだってできるんだから!」

 

大がかりな小屋掛けも何軒か並んでいた。

外の看板には、大きなイタチが大口を開けて、赤い舌を見せている見事な絵が・・・
丸太で骨組みを組んで、テントで覆い、中には舞台がしつらえてあった。
払う木戸銭がないから、悪ガキ連中でテントを捲って忍び込み、開演を待ったものだ。
やがて、おもむろに幕が開くと、そこには大きな板が一枚立っていた。
出てきた男の口上が振るっていた。
「さ~さ、よ~くごろうじろ! これが世にも珍しい『6尺のオオイタチ』だよ!」
板をひっくり返して掌で板をパ~ン!『血糊がべったり、端からは幾筋か血が流れて固まっている板』

「驚くなかれ、その長さおよそ6尺(180㎝)横幅は1尺5寸(45㎝)の杉の大板、そこに付いたるは大量の血だよ。 さ~さ!よ~く、ごろうじろ、これが噂の、『6尺の大板血』だ!」
大人たちは、『やられた!』という表情で、苦笑いはするものの誰も怒り出す人は居ない。

「6尺の大板血・・・なるほど、やられたな!いる訳ないよな~」と、ぞろぞろと出ていくのだ。


今だったら『やれ詐欺だ!』『嘘付くな!』『金返せ!』となるのは必至だろう。

誰一人としてそんな人はいない『お金がなくて貧乏していても、いい時代』だった。


祭りが終わると、暫くは学校で『口上ごっこ』
拙者はいつもクラスで一番の人気だった。

そりゃそうですよ、『口上、しっかり丸覚え』なんですから・・・

「アキラ、次は寅年のオンナー!」
「ハイハイハイハイ、子供はここから入っちゃいけないよ、『寅年生まれの女と、辰年生まれの男が結婚するとろくなことはない・・・』
竹の棒で叩かれながら覚えた口上を、『だみ声と手振り』を交えて笑わせていました。

書けばキリがない。

夏祭りのお囃子が聞こえてくると・・・・お小遣いなんか貰えなくて、お金は1円も持っていなくとも、

一日中友達と楽しく過ごしたあの日が懐かしい。


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あさぎいろ

私は近くの神社は小さかったので、夜店も10件ぐらいしかでません。残念ながら寅さんはのような方は見かけませんでした。いたら私も真似していたと思います。
by あさぎいろ (2007-07-11 21:07) 

浜松自宅カフェ

話に聞いたことあるだけで、見たこと無いんですよ。
オオイタチってそういうオチだったのですね?(笑)
by 浜松自宅カフェ (2007-07-12 03:32) 

アキラ

アサギいろさん

「口八丁手八丁」っていいますが、昔の香具師は本当に口先3寸でご飯を食べていたような気がします。
流れるような口上、それは見事なものでした。

ここに書いたほかにも、「絶対に詰まない詰め将棋屋」「がまの油売り」「火事場の濡れ灰に埋めた万年筆売り」「骨が透けて見える眼鏡売り」等、怪しい物売りが口上一つで客を集めていましたよ。
by アキラ (2007-07-12 11:04) 

アキラ

浜松自宅カフェさん

私は昭和37年に大学入学のために上京しました。
当時住んでいたのは池袋駅東口から、徒歩10分ほどの雑司ヶ谷。
近くに鬼子母神がありましたが、そのお祭りにも「6尺の大板血」「狼女」の
小屋がけがありました。

狼女なんてひどいもので、赤い腰巻きの若い女が、、「ギャーッ「と奇声をあげて『生きた鶏を喰う真似』をするだけでしたよ。

華の東京でも「インチキ興業」か?と思ったものでした。
by アキラ (2007-07-12 11:12) 

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