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生い立ちの記(虹を追いかけて) [日記]

虹.jpg

我が「生い立ちの記」も、ようやく今日で終わります。

長々とお読み戴いて、本当に有り難うございました。





2度目の大学入学で『味を占めた』訳ではありませんが・・・

無事に『傍系会社』に、転職を果たしました。

入社試験を受けるにしても、中途採用は余りない時代でしたし、

よしんば入試時期を待って、正攻法で入社試験を受けても、受かる保証はありません。

それならば・・・トップに当たって砕けてみるか?!

日本人には「人情」があり、うまく行けばなんとかなるかもしれない・・・

そんな「淡い想い」での、玉砕戦法でした。



『傍系会社』で、まず与えられた車は「2トントラック」で、仕事は『配送・運搬』でした。

その後は短いインターバルで『営業』 『総務』 『経理』 と次々にめまぐるしく移動しました。

『あれは私に、私が疎かった会社の業務を仕込んでくれていたのだ!』

お陰で、『私の今』がある・・・そう思っています。



勤めている間に、同僚が大きな不渡りを喰いました。

「お前はいい!給料が減るだけだ!俺のことはどうしてくれるんだ?!

俺は会社の代表者として、これから負債を全部背負うんだぞ!大馬鹿もの~っ!」

大勢の社員の前で、同僚の直属の上司は「拳骨の往復びんた」で殴り倒されました。


それを目の当たりにして『社長業の凄さ、責任の重さ、そして怖さ』を知ったのでした。


結局、前代未聞の馬鹿な行為から7年後、会社を興して独立したのは32歳の春でした。



独立するとき、『師と仰いだ社長』に報告に行きましたが、

嬉しいことに「餞(はなむけ)の言葉」を戴きました。


「これから君が出会う、全ての人に感謝の念を持って当たれ!」


「金と女の話は持ってくるな!それと、得意先は1件たりとも持って行くな!」


「商売というものは・・・儲かる時は3年間しかない、必ずどこかでその3年が来るが、

『その時の金』は大事に使え」


「危機は必ず事前に把握できるものだ・・・『あれは、やっておいた方がいいかな?』と

思ったら、億劫がらずに「必ずすぐに」やっておけ」


「朝は誰よりも早く会社へ行き、家に帰るのはみんなが帰った後にしろ!}



依頼、30数年間・・・この話を忘れることなく頑張ってきましたが、

本当に儲かった時期は、社長が言った通り3年間だけでした。


後は会社を何とか維持し、どうにか全員が食べられる程度のお金が入ってくる・・・

「商売とはそのようなもので、それでいいのだ」と思っています。


社長の言葉に従って、朝は一番に会社へ行き、会社を出る前は点検をして、

照明を消して・・・いつも最後です。

お客様だけではなく、仕事をしてくれる職人さんや仕入先の担当者にも、

常に感謝をしながら歩んできました。





『虹は、後ろから光が差すときだけに見られる』ものです。

もし虹を見たければ、太陽に向かっていたのでは決して見ることはできません。



つまり、『お金儲け(太陽)を企んでいたのでは、決して夢(虹)は追えないし、

いい仕事は出来ない』のです。


夢を追いかけている若者は、年輩者から見たら「いじらしく」見えていたのでしょうか?

それとも、自分の若い頃と重ね合わせて見られていたのでしょうか?

それとなく後押しをしてくださる(後ろから光を当ててくださる)人様からの『人情』を戴き、

人様から『知恵』を授かって今までやってこれました。


長い年月の間には、全くお金がなくなって途方に暮れた日もありました。

大人は兎も角「子どもに食べさせる、明日のご飯」をどう手に入れるか?

必死で考えて、なんとか乗り切ってきました。


自営業者の娘でお嬢様育ち、貧乏などには全く縁がなかった家内にも

「しなくてもいい、苦労」をさせました。

しかしながら、一度も弱音を吐くことなく、しっかり支えてくれた彼女には

死ぬまで頭が上がりません。





書いてきた「生い立ちの記」を読み返してみると、長かった年月が走馬燈のように

思い出されます。


あのまま、もし外資系の会社にいたら・・・

それなりの地位にもつき、それなりの給料を貰って、今頃は家内と二人で

悠々自適の生活を送っていたかも知れません。

わざわざしなくてもいい苦労を自ら望んでしてきた・・・という思いがしています。



私がとって来た行動は、常に「俺は九州男児だ」という思いがなせる業でした。


頭の悪い若者が突っ張って、粋がって自分勝手に選んだ道を、家族を道連れにして

歩いてきました。

引き返すタイミングを失い、ただ闇雲に突っ走ってきただけに過ぎないのかも知れません。



こうして書かれたものを見た方は、『ダイナミックで、破天荒で、波瀾万丈で』

「かっこいい人生」のように見えるかも知れませんが、実のところはそうではありません。


『歯を食いしばって地に這いつくばり、泥水をすすりながら生きてきた』

という印象の方が強いのです。



今でこそ少しばかり安定して、日曜日だけは休ませて貰っていますが、

若い頃には、全く休みもありませんでした。

年間の休みは、盆暮れ正月を足しても年間10日ぐらいだったと思います。

どこかへ行きたくても 行けず、やりたいことがあっても全て封印してきた30数年でした。




「お得意先ゼロ」で裸一貫のスタートから10年ほどは、思いの外苦労をしましたが、

私が目指して歩いてきた道は、決して間違ってはいなかった・・・と思っています。

『お金儲けがしたい』と考えて、独立していたら・・・お客様のことは二の次で、

きっと、とっくに会社は潰れて、親子で路頭に迷っていたでしょう。


先日、36年前に突然逝ってしまった父が夢に現れて「ここまで来れて、本当によかったな!」

と言って消えました。

『亡くなって30年以上も経つのに、未だに心配を掛けていた』のかと思うと申し訳なく、

あの世に行ったら、何としても父に会って・・・

『土下座』をしてでも、長年親不孝をし続けた赦し』を乞わねばなりません。




一人の経営者が、会社を経営しつづけることができるのは30年だそうです。

私は既に30年を過ぎて会社を畳むか、或いは次世代にバトンを渡す時期にきています。



幸いにして会社は、息子が後を継いでくれようとして頑張ってくれています。

彼は私と違う方法で、違う道程を歩こうとしていますが、

見据えているところは私と同じ地点らしく、やはり『虹』を目指しているように見受けられます。


私は今はまだ会社の代表者ですが、それは名ばかりで、既に会社は息子が動かしています。

私はいつも一歩引いて彼の後ろ姿を見つめ、彼の安全を確認するだけで、

「彼の邪魔だけは、決してするまい」と固く心に決めているところです。



私は今も、本が大好きです。

たった一冊の本で、人の人生は大きく変わる・・・身をもって体験しました。

今でも眠くなるまで、毎晩ベッドに横になりがら本を読んでいますが、

『あの本』以上の本には、未だ出会うことはありません。


いまその本は、ブラジルに行っています。

数年前、弟が来たときに「読んで見ろ!」と言って手渡したのでした。



有名な作家が書いた本でもなく自費出版に毛が生えたような本でしたので、

余り売れることもなかったのでしょう。


著者は既に故人となられ、書かれた本も既に絶版となっていますが、

「私という一読者」の胸の中に、いつまでも生き続けています。






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micchii

時代は違えど、今の主人は同じような状況にあります。
心構え、周囲の支え方など、アキラさんが社長さんに教わったように、
私たちはアキラさんに教わっていると思いました。
この記事は、主人にも読ませたいと思います。
私もしっかり心にとめておきますね。
朝から胸がジーーーンとしています。
by micchii (2008-10-18 07:23) 

myumyu

社長さんの「餞(はなむけ)の言葉」 本当にそうですね、重みのある素晴らしい言葉です。今商売をするのには本当に厳しい時代、アキラさんの所は息子さんが継いでくれるんですね。
 夫は7人兄弟の末っ子四男です、父親が早く亡くなり長男は苦労したと思いますが立派です。
 私達も結婚して35年今までは苦労せず来ましたが、これからキット苦労する気がします。
 アキラさんの生い立ちやはり凄いです、是非お目にかかりたいですね。
by myumyu (2008-10-18 21:09) 

アサギいろ

このところ忙しくて・・
全部まとめて読ませていただきました。
まだまだ読ませるブログを続けてください。
私にはアキラさんのような文章は書けません。
by アサギいろ (2008-10-18 22:08) 

denn

アキラさん^^
また美味い酒のましてください^^
by denn (2008-10-20 21:23) 

浜松自宅カフェ

言葉がありません。
餞(「はなむけ」ってこう書くのですね!)の言葉が染みますね。
共同経営者の嫁さんにも読ませようと思いました。
by 浜松自宅カフェ (2008-10-22 19:56) 

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