SSブログ

追憶 -帰省- [日記]

  下関から先は電車ではありません、ジーゼル機関車が牽引しました。

 

もう45年も昔のことです。

東京の大学に入った拙者は、毎年夏と正月には九州へ帰省していました」。


正月前には帰省客と一緒になって、九州行きの急行列車は超々チョー満員だ

ったのです。

 

東京から北九州小倉まで、今なら新幹線でひとっ飛び。

日帰りだってできなくはない。

45年前には、急行列車で21時間もかかった。

当時は特急寝台の夜行列車も出てはいたが、学生の分際では急行料金を

払うのが関の山。

乗車率なんて発表してはいなかったが、恐らく300%以上の混み方ではなかっ

たか?

今ならきっと問題になる。

 

東京駅で前夜から並んで乗車しても座れなかった。

ずっと立ちん棒で、大阪あたりで座れればいい方だった。

 

何回か回数を重ねると、いくらか要領もよくなってくる。

とにかく荷物を網棚にねじ込んで、聞いて廻るコツを覚えた。

「済みません、どちらまで行かれるんですか?」

「三宮までだけど・・・」

「あ、そーですか?じゃー、三宮で降りる時は僕に席を譲って下さい」

とりあえず約束を取り付けて、もっと近くで降りる人はいないか?と聞いて廻っ

た。

 

列車内を移動するのも一苦労。

通路は全て荷物と人で溢れているのだ。

靴を脱いで、座席の端や手摺りの上を渡り鳥のように移動するしかなかった。

で、『この人の後に座る』と決めたら、その人が座っている座席の下にやおら古

新聞を敷く。

唯一空いているところが、座席の下だけだから。

通路に頭だけを出して、新聞紙の上に横になる・・・体は椅子の下。

拙者が始めると、人は『うまいことやってるな!』と思うのだろうか?

いつも次々にまねをする人が出てきて、通路には頭がゴロゴロと並んでいた。

こうなるとトイレに行く人は、非常に大変な思いをするのだが、背に腹は代えら

れない。

座席の端や手摺りを渡り歩くと言うことは、取りも直さず人の頭の上を通ってい

くということになるのだから。

みんな暗黙の了解で、スカートをはいた女性が頭の上を通るときだけは、新聞

紙や本やハンカチを顔にかけて、見ないようにしたものだった。

 

一度だけ、いくら聞いて廻っても広島の人が最短と言うことがあった。

いつものように座席の下に新聞を敷くにも、すでに人と荷物がいっぱいでそれ

すらできない。

諦めて立ちん棒で乗車していたのだが、もう少しで京都というところで嫌になっ

た。

時刻表を見ると、京都から呉線廻りの下関行き普通列車があるではないか。

「京都~・・・きょうと~」

降りようと思ったが、人の波でとても荷物を抱えて出口までは行けない。

座席に座っている人の足と、荷物の間に何とか足を差し入れて「済みません」と

窓を開けた。

 

窓からプラットホームへ先に手荷物を投げ出しておいて、体の方も窓から滑り

出た。

図るかな、呉線廻りの普通列車は今までの混み具合が嘘のように空いてい

た。

一つの箱に数人しか乗っていなかったのだ。

急行で帰るよりも大分遅くなったが、当時の身は学生・・・急ぐ旅ではない。

一つの座席に一人だけで横になって、悠々と寝て帰ったことは言うまでもない。

 

一度だけ21時間に渡る無賃乗車を敢行したことがあった。

Q大へ通っている友人に、途中駅のホームから電話をかけて、到着時間に入

場券でホームまできてもらった。

彼は通学定期を持っていた。

45年も前の話、すでに時効が成立していることは間違いない。

 

無賃乗車・・・お金がなかったわけじゃない。

『不払い』乗車と言った方が正しいかも知れない。

学生時代の出来心、いたずら心。

万が一見つかったら、きちんと払うつもりのお金は持っていた。

 

その夜は、乗車券と急行券がビールに化けて、友人と盛大に飲んだことを

思い出す。

 

 


nice!(4)  コメント(7) 
共通テーマ:インテリア・雑貨

nice! 4

コメント 7

gottu329

昔はホントに大変だったんですね・・・
でも、アキラさんの頭脳プレーは今と変わらず冴えてますね。
by gottu329 (2006-10-04 22:47) 

アキラ

大変なことは大変でしたが、結構楽しんでいるところもありました。
頭脳プレー・・・と言うほどでもありませんが、何とか立って行くことを避けようとした結果ですかね?
ナイスをどうもありがとうございます。
by アキラ (2006-10-05 12:02) 

TOMO

21時間!!
そう考えると便利な世の中ですね、現代は。
でもその「不便」な中から学べることも
多かったのでしょう。
便利は人を「考えなく」しますから。
by TOMO (2006-10-05 16:08) 

ちぇっかが

鈍行で帰省していた頃,
13〜14時間でもきつかったなあ。
でも,それなりに楽しんでもいました♪
でも「飛行機で1時間」を経験してしまうと
なかなか,鈍行の旅へは戻れないのですよね〜(笑
by ちぇっかが (2006-10-06 01:24) 

アキラ

TOMOさん
いつもナイスをありがとうございます。
当時は時間がゆっくり流れていたのかも知れません。
学生時代の優雅な頃をかいてみました。
by アキラ (2006-10-06 08:38) 

アキラ

ちぇっかが さん
古里はどちらですか?
九州直通の鈍行がなく、一度だけ鈍行を乗り継いでのノンビリ旅をしたことがあります。その時は何時間かかったのかなあ・・・
とにかく接続が悪く、大変な時間がかかったので、それ以来やめたような記憶がありますねー。
鈍行・・・懐かしい響きです。
by アキラ (2006-10-06 08:42) 

アキラ

pulgate316さん
ナイスをありがとうございます。
お元気でしたか?
お忙しそうで、何よりです。
お体に気をつけて頑張ってください。
by アキラ (2006-10-06 08:45) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

63歳の惑い五十歩・百歩 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。